18歳で現在の大学生にあたる「文章生(もんじょうしょう)」試験に合格し、33歳の時には学者として最高位である文章博士(もんじょうはかせ)に任命。さらには右大臣に抜擢されるなど、秀才としての逸話に事欠かない「菅原道真(すがわらのみちざね)公」。政敵に疎まれて九州・大宰府に左遷され、その2年後には亡くなるなど不遇な最期となりましたが、死後は「天神様」として祀られ、太宰府天満宮や北野天満宮など日本各地に天満宮・天神社が創建されています。
大生郷天満宮は菅原道真公の三男・菅原景行公による創建とされており、諸説はあるものの、日本三大天神の一つとして名を連ねています。茨城の地に道真公に縁の深い神社があったことに驚きましたが、御子息による創建に加え、道真公の遺骨が祀られていることもとても興味深く、御利益めっちゃありそうですよね!
このような方にオススメします!
やはり学問の神様ですので、中学受験、高校受験、大学受験を控えた学生さんにオススメです!
また、管理人である私自身も難関国家資格・中小企業診断士試験に挑戦する際に御参りし、なんとその年に合格(令和5年度)を勝ち取ることができました!なので、御利益実証済みの、本当におすすめ天満宮です!!!
開運データ
主祭神 | 菅原道真 |
御利益 | 学問(合格祈願) |
創建 | 929年 |
社格等 | 旧村社 |
別名 | 御廟天神 |
主な神事 | 初天神祭(1月) 梅花祭(2月25日) 八朔祭(8月1日) |
文化財 | 絹本着彩 御神酒天神画像(県指定有形文化財) 御廟天神画像(県指定有形文化財) 絹本着彩 北野天神縁起絵巻(県指定文化財) 狩野松栄筆・三十六歌仙絵額(県指定有形文化財) 絹本着彩 十一面観音像(常総市指定文化財) |
学業成就を願い訪れる人が後を絶たない
学問の神様を祀る天満宮として、近隣住民からだけでなく県内各地からも多くの人が訪れている大生郷天満宮。奉納されている願串や絵馬を見れば、神にも祈る必死・必勝の願いが伝わります。
神社境内には、天満宮らしく「撫でると御利益がある」と言われる御神牛の石像のほか、絵馬や願串など、学業成就の祈願ができるものが設置されており、御祈祷の時間が取れない方でも、訪れる価値があります。社務所では販売も行っているので、「学業成就」のお守りを購入するのもおすすめです!(私は買いました!)
道真公の御子息による建立や、平将門との縁も
創建の歴史
大生郷天満宮(おおのごうてんまんぐう)は、学問の神として名高い菅原道真公を祀る神社で、関東最古の天満宮とされています。創建は延長7年(929年)とされ、道真公の第三子・菅原景行公によって建立されました。その後、この地に道真公の遺骨が祀られたことから、「御廟天神(ごびょうてんじん)」とも呼ばれ、日本三天神の一つ(※諸説あり)として知られています。
エピソード
御遺骨が祀られている経緯
社伝によると、菅原道真公の三男景行(かげゆき)公は、父の安否を尋ね九州大宰府を訪れた時、道真公自ら自分の姿を描き与え「われ死なば骨を背負うて諸国を遍歴せよ。自ら重うして動かざるあらば、地の勝景我意を得たるを知り、即ち墓を築くべし」と言われ、延喜三年(903年)2月25日に亡くなられました。
景行公は、遺言どおり遺骨を奉持し、家臣数人と共に諸国を巡ること二十有余年が過ぎ、常陸介(地方長官)として常陸国(茨城県)にやってきた際、926年に現在の真壁町羽鳥に塚を築き、この地方の豪族源護・平良兼等と共に遺骨を納め、一旦お祀りしたそうです。しかしその3年後の九二九年に、当時飯沼湖畔に浮かぶ島(現在地)を道真公が永遠にお鎮まりになる奥都城(墓)と定め、社殿を建て、弟等と共に羽鳥より遺骨を遷しお祀りされたのが大生郷天満宮の起源です。
◇参考サイト:大生郷天満宮
平将門との奇妙な縁
怨霊仲間
菅原道真公と平将門、どちらも「怨霊伝説」が有名ですよね。左遷により不遇の死を遂げた道真公は、死後数年たって怨霊となって暴れ回り、謀略に関わった藤原時平が祟りに怯えながら急死したり、内裏の清涼殿に雷が落ちて太宰府での監査役だった藤原清貫が即死したり…。そんな道真の霊を鎮めるために創建されたのが、実は北野天満宮なのです。
一方の平将門は、関東一円を騒乱に巻き込み、常陸、下野、上野と支配地を広げていく中で「新皇」を名乗り、朝廷とあからさまに敵対。朝敵となった将門は藤原秀郷や平貞盛らの連合軍との激闘の末、額に一本の矢が命中して落命してしまいました。その首は京で晒し首にされたもののいつまでも腐ることなく、夜な夜な「私の体はどこにある。首をつないでもう一度戦おう」と叫び続けたそうです。やがてその首は関東を目指して空高く飛び上がり、その首が落ちた地点と伝わる「将門の首塚」が全国に数か所あります。もっとも有名なのは東京・大手町の首塚ですね。
このように、どちらも怨霊となって死してなお恐れられ、それが1000年以上経った今でも、尊崇や畏敬の対象となっているのはなかなか類例がなく、よほど往時に突き抜けた才能を持っており、恐れられた証ともいえるのではないでしょうか。
将門が生れた年は…
実は、平将門が生れた年は、903年。そう、菅原道真が亡くなったのと同じ年です。そういったことから、「平将門は菅原道真の生まれ変わり」と言われることもあったようです。歴史学者の織田完之(おだかんし)によって書かれた1907年(明治40年)発行の「平将門故蹟考」(たいらのまさかどこせきかんが)には、「菅原道真は延喜三年死す、将門此の歳に生る故に菅公の再生という評あり」と記されているそうです。
◇参考サイト:刀剣ワールド「平将門は菅原道真の生まれ変わりだった?」
大生郷天満宮創建に携わった平良兼は…
先述の大生郷天満宮に御遺骨が祀られている経緯にて、道真公御子息とともに大生郷天満宮の創建に携わった「平良兼」という人物、実は平将門の叔父なのです。大生郷天満宮のある常総市や隣接する坂東市周辺などを含む茨城県西地区は、将門の本拠地として知られているエリアです。なるほど、そんなご縁があったのかと、運命を感じずにはいられないエピソードですね。
祭礼・イベント
菅原道真公御神忌1125年大祭
令和9年に、道真公が薨去されて1125年の御神忌の年を迎えます。先例に倣い、25年毎の式年行事として、御神忌大祭を斎行する準備が進められているそうです。それにあたり、東日本大震災で損傷した社殿や透塀の改築などに充てるため、奉賛金の寄付を受付しているそうです。
奉賛者の顕彰として、芳名簿の永久保存の他、3万円以上の奉賛で記念碑への氏名刻印などが行われるそうです。
◇関連サイト:大生郷天満宮
基本データ
名称 | 大生郷天満宮 |
別称 | 御廟天神 |
所在地 | 茨城県常総市大生郷1234番地 |
電話 | 0297-24-1739 |
URL | https://tenmangu.or.jp/ |
駐車場 | 無料駐車場あり |
アクセス | 圏央道常総ICより車で11分 |
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