旅館や土産店が立ち並ぶ大洗海岸通りの入口に大鳥居があります。それが、町の賑わいを見下ろす小高い丘の上に鎮座する大洗磯前神社の一の鳥居です。美しすぎるパワースポットとして人気の「神磯の鳥居(かみいそのとりい)」の御社でもありますが、古くは平安時代の『延喜式神名帳』にもその名を連ねている由緒ある神社です。
このような方にオススメします!
『延喜式神名帳』には「大洗磯前薬師菩薩明神」と記載されていることからもわかるように、御祭神は医療の神様です。怪我や病気でお悩みの方は、ぜひ御参りするだけでなく、御神水のお水取りも行って帰りましょう!
また、御祭神の大己貴命(おおむなむちのみこと)は、縁結びや財運、福徳開運の神様である大黒天ともみなされています。幅広い御利益が期待できる神社です!
■関連リンク:神磯の鳥居|朝日とともに拝む神の降臨した鳥居
開運データ
主祭神 | 大己貴命 |
御利益 | 病気平癒 縁結び 財運 |
創建 | 856年(斉衡3年) |
社格等 | 式内社(名神大) 旧国幣中社 別表神社 |
札所等 | |
主な神事 | 八朔祭 (8月25日) |
文化財 | <茨城県指定有形文化財> ・本殿・拝殿 – 昭和45年(1970年)指定。 ・太刀(銘 近則) – 平成2年(1990年)指定。 <大洗町指定有形文化財> ・随神門 |
民を難儀から救うために降臨した神様を祀る神社
平安時代の書物である『日本文徳天皇実録(にほんもんとくてんのうじつろく)』によると、仁寿3年(853年)は、天然痘が大流行し多くの死者が出たそうです。貴族や役人も亡くなっただけでなく、飢饉が発生するなど、官も民も非常に難儀した時代だったと記されています。それから3年、年号も改まった文徳天皇の斉衡3年(西暦856年)12月29日、常陸国鹿島郡の大洗磯前に、神様が現れたという話が伝わってきたそうです。
ある夜、製塩業の者が海に光るものを見た。次の日、海辺に二つの奇妙な石があった。両方とも一尺ほどだった。さらに次の日には20あまりの小石が怪石の周りに侍坐するように出現した。怪石は彩色が派手で、僧侶の姿をしていた。神霊は人に依って「われは大奈母知(おおなもち)・少比古奈命(すくなひこなのみこと)である。昔、この国を造り終えて、東の海に去ったが、今人々を救うために再び帰ってきた」と託宣した。
『日本文徳天皇実録』斉衡3年12月戊戌条
この逸話に出てくる大奈母知とは、すなわち「大己貴命(おおなむちのみこと)」、少比古奈命とは「少彦名命(すくなひこのみこと)」です。この二人の神様は、一緒に行動している話が多く、それぞれ国造りにも携わった神様とされています。大己貴命はまたの名を「大国主神」とも言い、打ち出の小槌を持った七福神の大黒様とも言われます。少彦名命は、とても小さいからだで描写されることが多く、当神社での御神影でも大己貴命の手のひらに収まるように描かれています。一寸法師のモデルともいわれる神様です。
神が降臨した磯は、神聖な場所に
さて、二神が降臨されたことが契機となり、大洗磯前神社が創建されました。国からのお供え物をいただける数少ない神社の一社となり、さらには「大洗磯前薬師菩薩明神」という神号を賜り、『延喜式神名帳』には霊験あらたかな神社をあらわす「大社」として記されるに至ったわけです。
神様が降臨された海岸の岩礁は、「神磯」と呼ばれる神聖な禁足地となり、「神磯の鳥居」が建てられました。
ひたちなか市の酒列磯前神社とは兄弟神社
856年に降臨された二神のうち、大己貴命は大洗磯前神社の主祭神となりましたが、同時期に現在のひたちなか市磯崎町には酒列磯前神社が創建され、こちらには少彦名命が主祭神として祀られています。「酒列磯前薬師菩薩明神」という神号を賜ったのも同様なら、延喜式に名神大社と記されたのも、明治に国幣中社に列せられたのも同じです。この二つの神社は同じ古事を由来に持ち、二つの神社で一つの伝説を受け継いでいる兄弟神社なのです。
大洗・酒列の両磯前神社同時参拝がおすすめ
兄弟神社である大洗磯前神社と酒列磯前神社とは、直線距離でわずか8.5kmほど。自動車なら20分弱の時間で行ける距離です。それぞれの神社に主祭神・配祀神として大己貴命・少彦名命の両神が祀られてはいますが、どちらも平安時代から霊験あらたかな「明神」の神号を賜った神社ですから、ぜひとも両方の神社を参拝し、それぞれの主祭神に御参りして御利益にあやかりたいところです!
それぞれパワースポットとしての見所もあり
大洗磯前神社には「神磯の鳥居」という美しいパワースポットありますが、酒列磯前神社では参道を包む木のトンネル「樹叢(じゅそう)」が神秘的な景観を作り上げています。こちらの樹叢は茨城県の天然記念物にも指定されており、ヤブツバキが咲き誇る2月から3月は特に美しいそうです!
エピソード
水戸黄門も認めた美しさ
神磯の鳥居と呼ばれている御祭神の降臨された岩礁は、古くから景勝地としても知られており、水戸徳川家第二代藩主であり水戸黄門としても知られる徳川光圀公もこの景観を称えた歌を詠んでいます。
あらいその 岩にくだけて 散る月を
徳川光圀
一つになして かへる浪かな
社殿の再建を命じた水戸光圀
御社殿等は戦国時代の兵乱によって焼失してしまったそうで、現在の社殿は再建されたものです。その再建を命じたのが、水戸藩第二代藩主徳川光圀公でした。1690年に社殿等の造営をはじめ、第三代藩主徳川綱條公の時代である1730年に完成したのが、現在の本殿・拝殿・随神門とのことです。本殿や拝殿は、彫刻や建築様式が江戸初期の貴重な建造物であることから、茨城県指定の文化財に指定されています。
医薬の神様 大洗磯前薬師菩薩大明神
天然痘の流行や飢饉の発生によって荒廃していた時代に降臨された神様を祀って創建されたことから、医薬の神様として崇められ「大洗磯前薬師菩薩」という神号も賜っています。かつては境内に「目さらしの井」があり眼病に効くと言われていたそうですが、現在は残っていないようです。また、江戸時代からは御祭神の御利益を得ようと神社前の海岸で「潮湯治(しおとうじ)」という海水浴が流行し、明治時代には長期滞在の潮湯治客のための旅館や宿が発展したことで、現在までつづく大洗の保養地としての下地が築かれたそうです。
現在は「目さらしの井」はありませんが、境内には自由にお水取りができる「御神水」があります。境内に湧く湧水で、霊験あらかたと評判が高く、御神水を求めて多くの方が遠方からお水取りに来られるそうです。
※毎年水質検査は行われていますが、飲用に使われる場合は煮沸してからの使用が推奨されています。
祭礼・イベント
例大祭並びに八朔祭
八朔祭とは8月1日の祭という意味です。古くは旧暦8月1日に行なわれましたが、近年8月25日を例祭とし、八朔祭と称します。五穀豊穣と氏子崇敬者の安泰を祈るお祭りで、25日後の土日は、街中で山車が曳かれて囃子の音が響き渡り、大変にぎやかになります。
基本データ
名称 | 大洗磯前神社 |
別称 | 大洗磯前薬師菩薩明神 |
所在地 | 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890 |
電話 | 029-267-2637 |
URL | 大洗磯前神社公式HP |
駐車場 | 無料駐車場あり |
アクセス | 圏央道牛久阿見ICより車で10分 |
アクセスマップ
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