地元の経営者に絶大な支持を誇る、商売繁盛祈願で有名なお稲荷様。
往古の女化原を彷彿とさせる参道入口
社殿は平成に再建。地域の支持の篤さが伺える。
社殿前の親子狐の像がなんともかわいい
社殿には稲穂をくわえる狐の木彫も
社殿裏手から道路を挟んだ遠くに「奥の院」の鳥居が見える

女化神社|謎多き伝説が眠るお稲荷様

五穀豊穣・商売繁盛の神様として、16世紀から厚い信仰を集めてきたお稲荷様。今でも地域企業の経営者をはじめ、参詣者が絶えることがありません。境内には明治期の東京都内からの寄進物も見られ、近隣地域だけでなく広い地域にその御利益が知られていたことが伺えます。また、狐の嫁入りの伝説が有名で、言い伝えの中で正体が露見した母狐が最後に隠れた巣穴は、「お穴様」として今も大切に保存されています。

このような方にオススメします!

地元の経営者や団体から絶大な支持を集めるお稲荷様です。商売繁盛や仕事運などの御利益を求める方におすすめです。

また、女化神社は、娘に化けた狐の伝説で有名で、女性に御利益のある神社として広く知られていたようです。明治期には東京赤坂の芸者衆なども多く参詣していたという記録も。女性起業家やキャリアウーマンを目指す女性、これから自分で商売をはじめたいと思っている女性にとって非常に御利益のある神社です。

開運データ

主祭神保食命
御利益五穀豊穣
大漁祈願
商売繁盛
創建永正6年(1509年)
※別説で建久年間(1190-1198年)とする説もある。
社格等無格社
札所等
主な神事初午の大祭 毎年旧暦2月の最初の午の日
文化財

開運ポイント:御祈祷を受け、お穴様にもお参りを!

女化神社は商売繁盛の神様として有名です。ただ単にお参りするだけでなく、御祈祷を受けられるのが一番のおすすめ。日時によっては宮司不在の場合もあるため、御祈祷は電話予約をしてから行くのが間違いありません。御祈祷の時間がない場合は、社務所でお守りを購入しましょう!

また、「女化神社奥の院(お穴様)」は、パワースポットとしても知る人ぞ知る隠れた人気スポット。本院の駐車場に車を留め、本殿裏手をまっすぐに伸びる細い道を進むと辿り着きます。ぜひ一度はお参りしておきたいスポットです。

女化神社奥の院・通称「お穴様」の入口
鳥居をくぐり森に足を踏み入れると、どこか神秘的な雰囲気が漂う。

開運スポット詳細

女化神社の歴史

一説によれば、永世6年に京都にある伏見稲荷大社を詣でた地域の人が女化の地に稲荷信仰を伝えたのがルーツとされています。また、古くは稲荷大明神と呼ばれたとも伝わっています。後年になり、神社一帯の野原が「女化原」と呼ばれるようになったことにから「女化稲荷社」と呼ばれるように。明治2年(1870年)には女化稲荷社から保食神社と改名されたが、「女化」の旧称があまりに広く周知されていたため、明治17年(1885年)に女化神社へと再度改名されました。しかし、地域では「女化稲荷神社」と呼ばれることが多く。社名碑にも「女化稲荷神社」と刻まれています。

ちなみに、牛久市女化町にありますが、住所は龍ケ崎市馴馬町となっています。明治以前は龍ケ崎市馴馬町にある来迎院の管理下にあり、旧河内郡馴馬村の鎮守でした。そのため明治以降も馴馬村の所属となり、現在も境内周辺は龍ケ崎市の飛地になっています。

女化民話

社地周辺は「女化原」と呼ばれる元原野であり、『女化物語』という民話が伝えられています。女化民話は、女化原の霊狐による動物報恩譚、及び異類婚姻譚です。大筋は同じものの異なる2つの伝承(栗林義長伝・根本村の忠五郎伝)があり、その他にも民間伝承があります。

境内に設置されている案内看板より

本殿裏から北に伸びた道の先にある「女化神社奥の院(お穴様)」は、正体を知られた霊狐が姿を隠した森と伝えられています。

栗林義長は戦国時代に実在したと伝わる武将で、牛久市にある東林寺にはその位牌が祀られています。また、栗林家の子孫は、現在でも女化神社奥の院(お穴様)に毎年お参りしているとか・・・。

どこまでが現実で、どこからが伝説なのか、なんとも不思議な伝承です。歴史や伝説に興味のある方は、ぜひ一度調べてみてください!きっと女化神社がもっと好きになります。

「歴史人」にも取り上げられた女化伝説・・・
「狐が女性に化ける伝承がなぜ各地に存在するのか?」(歴史人HP)

林の中には、お稲荷様や鳥居がたくさん祀られており、厳かな雰囲気。

銚子の漁師からも信仰が

女化神社の初代宮司である青木又氏が女化に入る前に千葉県八街に居住していた関係から、千葉県八街市にも分社(女化稲荷神社:千葉県八街市八街)があり講中の人々が訪れていたといいます。さらに、千葉県銚子市では不漁の際に女化稲荷の札を海に撒いたところ豊漁になったという言い伝えもあり、以降参拝が続いていたそうです。

歌舞伎「女化稲荷月朧夜」

尾上菊五郎 (5代目)は市村座で明治18年(1885年)に歌舞伎「女化稲荷月朧夜(おなばけいなりつきのおぼろよ」を上演し、門人と共に参拝に訪れたと記録に残っています。また、龍ケ崎市歴史民俗資料化には、歌舞伎の一場面を描いた錦絵「常州 女化狐子別之場」が残されており、信仰の篤さを伝えています。

◆関連リンク:「妻に化けた狐伝説息づく 茨城・龍ケ崎の女化神社」(朝日新聞デジタル)

女化の初午

毎年旧暦2月の最初の午の日に稲荷の縁日として初午の大祭が行われており、今も生活必需品の農工具や食品、植木などが販売され、露天商も出て賑わっています。江戸時代から近隣の村々だけでなく、江戸からも信者が訪れてにぎわったと言われ、明治・大正時代にも千葉県八街の女化講、銚子の漁師、東京赤坂の芸者など幅広い信者が遠方からも御利益を願って集まり、多くの参拝者で大変な賑わいを見せたと伝わっています。

電車も自動車もない時代に江戸から今の牛久市まで来るとは、よっぽど御利益が知れ渡っていたのでしょう。初午に限らず、ぜひ訪れてその御利益にあやかっていただきたい神社です!

東京江戸川からの参詣していた女化講もあった。裏面には昭和56年の記載が。

基本データ

名称女化神社
別称女化稲荷神社
稲荷大明神
女化稲荷社
保食神社
所在地茨城県龍ケ崎市馴馬町5387
電話029-872-2237
URL茨城県神社庁HP
駐車場無料駐車場あり
アクセス圏央道牛久阿見ICより車で10分

アクセスマップ

この記事を書いたのは

茨城開運管理人
茨城開運管理人茨城開運ポータル管理人
茨城開運ポータルの管理人。開運というキーワードで茨城をもっと楽しく!という気持ちで、このサイトを作っています。鑑定歴20年の運活カウンセラーでもあります。

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