800年前の親鸞聖人に想いを馳せて
別格本山の文字に身が引き締まる
まさに堂々とした創りの本堂
県内最大の幹周りをもつお葉付き銀杏
浄土真宗の聖地。修行に来られている方も。
太鼓堂や太子堂、御頂骨堂などの見所も多数

稲田禅房 西念寺|親鸞聖人の過ごした浄土真宗の聖地

仏教の宗派は多数ありますが、とりわけ有名な宗派のひとつが「浄土真宗」です。浄土真宗の開祖とされているのが、親鸞聖人(しんらんしょうにん)です。誰もが一度は聞いたこと・見たことのあるお名前ではないでしょうか?実は、その親鸞聖人が茨城県と深い関係があったことはご存知でしょうか?

親鸞聖人は鎌倉時代に関東一円の布教活動をされたのですが、その拠点とされたのが茨城県の笠間市だったのです。そして、そのお住まいであった「稲田の草庵」跡が「稲田禅房 西念寺」として残されており、浄土真宗発祥の地として「稲田の御坊」の名で今なお崇敬を集めているのです。

このような方にオススメします!

現在1200万人を超える最大宗派となっている浄土真宗の礎となったのが、この稲田の草庵です。親鸞聖人の主著である『教行信証』の草稿も稲田の草庵で著したと伝わります。

仕事でも私生活でも、新たに何かを築こうとしている方、始めようとしている方にとっては、開祖である親鸞聖人のご縁に触れることで良い結果が出るのでは!?また、書籍の執筆の予定のある方やブログやSNSなどでのライティングのお仕事をされている方にとっても、ご縁のあるお寺といえるのではないでしょうか。

開運データ

御本尊阿弥陀如来
御利益心願成就
宗派浄土真宗別格本山
創建嘉元2年(1304年)
札所等茨城百景「稲田御坊西念寺碑」
文化財『唐本一切経』(茨城県指定文化財)
お葉付き銀杏(茨城県天然記念物)

親鸞聖人のいた時代に思いを馳せて境内を巡ろう

親鸞聖人が稲田の草庵に住んでいたのは、承元の法難による越後配流が赦免されて数年後の、健保2年(1204年)の頃。常陸国笠間郡稲田郷の領主であった稲田九朗頼重の招きに応じてこの地を訪れ、吹雪谷と呼ばれた山間の谷地に庵を結んだのだそう。

親鸞聖人はこの稲田の地を拠点として、およそ20年に渡って東国での布教活動を行いました。後に「関東二十四輩」と呼ばれる高弟たちもこの関東不況時代に苦楽を共にした弟子たちで、24人の弟子たちは後に常陸や下野などで開山し、現在は43カ寺にのぼる「二十四輩寺院」が存続しています。

寺院となったのは100年後

親鸞聖人が住まわれていた当時は、「庵」という名の通り、仮住まい。親鸞聖人が京へ戻られた後は、領主である稲田九朗頼重(初世)が念仏道場として受け伝えたそう。それから3世代時代が進み、第四世・宗慶の頃(嘉元2年・1304年)に正式に寺院となり、宇都宮泰綱の遺命により「西念寺(さいねんじ)」と寺号を改めたそうです。親鸞聖人が稲田に草庵を結んだのが1204年とされていますから、ちょうど100年後に正式に寺院となったのですね。

境内には親鸞聖人が20年暮らした面影が

親鸞聖人が「草庵」として住まわれていた頃は、建物や庭といった構造物はおそらくもっと質素な造りであったろうと推察されますが、この場所から見える吾国山(わがくにさん)の景色や、親鸞聖人お手植えと伝わる県天然記念物のお葉付き銀杏の樹の黄葉の美しさ、上洛に際して20年暮らした草庵を名残惜しむように振り返ったと伝わる「見返り橋」に感じる心境。800年の時を経ても変わらずに感じられる親鸞聖人の面影がしっかりとこの西念寺には残っています。聖人の面影を感じながら、境内をゆっくりと見て回るのがおすすめです!

浄土真宗の中でも“別格”の扱い

浄土真宗別格本山として宗派を超えた崇敬を集める

浄土真宗は800年を超える歴史の中で、様々な宗派に分派しています。しかし、この稲田の草庵であった西念寺は、浄土真宗発祥の聖地として、どの宗派にも偏らない中立の立場として「浄土真宗別格本山」という単立の寺院として他の浄土真宗系寺院とは一線を画しています。それにより、伽藍の様式などは異なる宗派の様式を並立するなどの特徴もあるそうです。

親鸞聖人の御遺骨が納められた御頂骨堂も

晩年は京都で過ごされ京都でお亡くなりになった親鸞聖人。火葬された御遺骨は大谷に埋葬されましたが、その御遺骨の一部が稲田にも納められています。西念寺の裏手の山の上に「御頂骨堂」が建立され、大切に祀られています。現在の御頂骨堂は、1925年に立教開宗700年を記念して建てられたそうです。

エピソード

稲田の地について

稲田の地には、『延喜式神名帳』にも名神大社として名を連ねる稲田神社があります。親鸞聖人がこの地に庵を結んだ理由のひとつに、稲田神社に集積されていたださまざまな資料が必要だったからというお話があります。

当時の稲田神社は常陸国の大社であり、領主の笠間時朝は藤原氏を招いて歌会を開いたほどでした。そして当時の大社は神仏習合の慣例によって、「一切経」が備えられていました。一切経とは、お釈迦様の言葉、思想、戒律等が解き明かされたお経の全てを集めたものであり、その数は膨大です。数え方にもよりますが7000巻にも及びます。まさに「教行信証」執筆するには最適な環境。聖人は、宇都宮一族の庇護の元、精力的に布教伝道と執筆活動に励まれたのでした。

親鸞聖人御旧跡めぐり

親鸞聖人も食べた?吹雪谷の美味しいお米

稲田の草庵前の水田地帯は、古くから吹雪谷と呼ばれており、水田の地下には花崗岩が細かく砕かれた左室となっているためにミネラル分が豊富で、谷間から流れ出る新鮮な水と相まって、良質な米が生産される水田として知られています。
きっと親鸞聖人も召し上がったであろうこの水田で収穫されたお米は、「吹雪谷の庵田米(いおたまい)」として販売されています。
◇関連サイト:稲田禅房西念寺公式サイト「庵田米の販売について」

セミナーやコンサート等様々な催しも開催

市民の学びの場や芸術との触れ合いの場としても場を提供しており、様々な催しが開催されています。筑波大学名誉教授を招いての市民大学講座なども2024年夏には開催しており、浄土真宗や日本仏教についてアカデミックに学ぶことができる公開講座はとても興味深いです。コロナ禍以降閉鎖中ですが、宿坊での合宿なども以前はあったようで、再開が待ち望まれます!

基本データ

正式名称稲田山西念寺
別称稲田御坊、稲田禅房、稲田の草庵
所在地茨城県笠間市稲田469
電話0296-74-2042
URLhttps://www.inadagobo.org/
駐車場無料駐車場あり
アクセス北関東自動車道笠間西ICより車で5分

アクセスマップ

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